【過去のプレゼンターの"今"を伝える_鹿児島未来170人会議】

 

 

過去のプレゼンターの"今"を知る

 

 2015年からスタートした鹿児島未来170人会議は今年で5回目の開催となります。

過去4回で登壇いただいたいプレゼンターは51名。

 

1人ひとりにとって170人会議に参加したことはどんな意味や気づきがあったのか。

そして当時のテーマ(取り組み)は今どうなっているのか。

 

過去のプレゼンターすべてではありませんが、ご紹介いたします。

 


◇ 第4回プレゼンター(2018)◇

No.01 田畑 綾美氏 / 株式会社KAGO食スポーツ

 

<どんな意味があったか>

たった1分間でプレゼン伝えること、そこからたくさんの意見やアイディアがでることや、自分で考えるだけでは行き詰まるところをいろんな方とつながることなど、普通ではなし得ないことが1日でできるとてもよい機会でした。

 

<チャレンジの今>

関係が広がり、繋がった方々の活動をFacebook等で見ることでまた刺激になり、いろんなことに広がっています。ただ、これからにどう繋がるかは自分次第だと思うので、この機会を活かすためにも関係性や意見などは大事にしたいと思っています。

 

 

No.02 鈴木 涼良氏(写真右) / NPO法人GROAD

 

<どんな意味があったか>

私にとって、170人会議は「繋がりの場所・再出発する場所」でした。今までやってきたこと、きっかけなどの過去を振り返り、1分プレゼンに仲間とまとめる過程は、大事な振り返りと仲間と繋がる時間になりました。なぜ今の私たちが活動しているのかを深く何度も考えさせられることは、未来に繋がる大事な時間だったと心から思います。 当日を終えてからは、宣言したからこそ、あとはやりきるのみだとひしひしと感じました。苦しみ感動の中、やり続けることができているのは、振り返りによって意志が明確化されたこと、170人会議で繋がった仲間がいたからです。また、出会った方とご一緒に研修プログラムを作ることができ、繋がりから、形にすることの偉大さを学びました。

 

<チャレンジの今>

事業は実施中です。薩摩スチューデント派遣プロジェクトは、クラウドファンディングや助成金で渡航資金を募り、ただ今派遣中です。(11/13時点) 私は話さず立っていたプレゼンターでしたが(笑)、1年前の170人会議のときに描いていた夢がより明確化されました。

 

 

No.03 種子田 璃紗氏 / Kids Cafe&Bar LINK

 

<どんな意味があったか>

なにをプレゼンしたいかも定まらないまま、勢いで登壇を決めたところもありましたが、結果としてとてもいいタイミングだったと思います。 当日のみならず、そこに至るまでの日々でメンター・ファシリテーターをはじめテンラボスタッフ・事務局スタッフ皆様のおかげで自分自身と向き合うことが出来ました。 また、当日はいうまでもなく、鹿児島県内の魅力的な方々が集結し、多くのご意見をいただくことが出来ました。

 

<チャレンジの今>

「居場所づくり」をテーマに立ち上げた自身の店ですが、『私はここで、みんなの思いをのせてチャレンジを続けます』とお伝えした通り、日々いろんなことが前に進んでいます。ベビー・キッズとその家族を超えて、地域のご高齢の方にいきいきサロンで使っていただける機会もありますし、就労支援や学習支援の場となったり、エアギター大会や異業種交流会につかっていただいて多様な方の集う場所となっています。 目の前の課題を、出来ることからひとつづつ、ではありますが、居場所づくり・地域づくり・不登校支援など、今後も取り組みたいことばかりですので、これからも多くの方と繋がりお力添えをいただきながら歩んでいければと思います。

 

 

No.04 藤浦 清香氏 / 森の学校楠学園

 

<どんな意味があったか>

直接会うのは,地道だけれど最も伝わる手段だと改めて感じました。現場に来ていただくのは敷居が高い。メディアを通しての伝達だと,一瞬だけ「すごい!」と思ったとしても情報の波に流されてしまう可能性が高い。 けれど一対一ではないにせよ,直接顔を見て話を聴き,さらに一歩進んで対話する場があるというのは貴重な場です。また,様々なことに取り組む人やそのような前向きな活動に興味を持つ人が一堂に会することは,触発を生むに十分なエネルギーがあると感じることです。

 

<チャレンジの今>

必要な人の元にこの学校の存在を知らせるという目的に関しては,爆発的な動きはありません。けれど,この170人会議で登壇したことをきっかけに繋がった人と新しい取り組みを始めたり,時間が経ってからじわじわと成果が現れている感じを受けています。

 

 

No.05 山野 元樹氏 / 富士通鹿児島インフォネット

 

<どんな意味があったか>

複業家やアントレプレナー、新しい時代の働き方をもっと企業で働く人にこそ意識してほしいと再確認できた。

 

<チャレンジの今>

会社の後輩が自ら社外で動くようになった。会社内の身近な人たちが変化しはじめた。

 

 

No.06 旨田 裕美氏 / 桜島ジオサルク

 

<どんな意味があったか>

宣言すること・公言することで、自分自身の内なる思いの巡らせに止まらず、周りの人に対して本気度を伝える機会になったと思います。 色々慣れないことや「場」の過ごし方が予想できなかった部分があった中で、ファシリテーターの力や助けをとても感じました。

 

<チャレンジの今>

30〜70代までのメンバーで、価値観や人生経験多様な人同士ですが…0からスタートして、少しずつ結果と信頼を得ながら着々と目標のテーマへと向かっています。

 

 

No.07 山下 大裕氏 / 南大隅町地域おこし協力隊(~2018年12月)➡本土最南端の映画監督

 

<どんな意味があったか>

2017年7月、私は母方の実家である鹿児島県南大隅町へ地域おこし協力隊として移住してきました。当時県内に親戚以外の知り合いは一人もおらず、自分が『映像での町おこし』をテーマに活動していることやそもそも鹿児島で映画を撮るために移住してきたことなどは誰も知りませんでした。そこで私はまず自分のことを知ってもらう必要があると考え、県内の熱い人たちが集う鹿児島未来170人会議の場を自分自身の『鹿児島でのデビュー戦』だと捉えプレゼンターとして臨みました。 そして1分という限られた時間の中で、工事用の三角コーンを改造した巨大メガホンを持って全力で夢を語りました。その結果、自分のことを多くの方に知っていただき応援者になってくださる方々と出会うことができました。 170人会議への登壇がなければ今のスピード感で事は進んでいなかったと強く感じます。一人でできることは限られているので、何か行動を起こすためにはやっぱりまず自分を知ってもらうことが大事なのだなあと気づかされました。

 

<チャレンジの今>

着実に進んでいます。つまり『2020年までに全国公開映画を撮る』という目標が現実味を帯びてきているということです。 具体的には170人会議の登壇以降、『本土最南端の映画監督×地域おこし協力隊』という肩書の珍しさが注目され、テレビ・ラジオ・雑誌など数多くのメディアから取材を受けるようになりました。 その影響もあり私自身の知名度が少しずつ上がっていった結果、町内外から小中高生向けの映像指導や講演依頼が舞い込み、また地域おこし協力隊に関連するイベントへのオファーや南大隅町での協力隊活動に対する視察依頼などを多数受けました。そして私が行く先々で『2020年―』の目標を公言することでありがたいことに日々支援者が増えてきています。 私は2018年12月をもって南大隅町の地域おこし協力隊を退任し、夢の実現に向けて次のステップへと進んでいきます。映画の内容などはまだお伝えできませんが計画は日々スピード感を増しながら着実に進んでいるということをご報告させていただきます。

 

 

No.08 米蔵 雄大氏 / 一般社団法人folklore forest

 

<どんな意味があったか>

鹿児島県に転居して一年目で、手探りの中活動をしていました。本イベントに参加し、県内の状況や参加者の要望、困りごとが見えてくる良い機会となりました。また、専門知識と熱い気持ちを持つサポーターによる伴走から、エネルギーをもらい気持ちも一歩前進したように感じています。

 

<チャレンジの今>

サポーターやイベント参加者と連携して、翌年度はイベントを1回行うことができました。さらに翌年度は、年3回の開催を予定しています。県内から参加者がいるため、そのつながりを活用することで活動が県内へと広がり、多くの子どもたちに学びの機会を届けることができました。

 

 

No.09  仮屋 元氏(ハジメ氏) / kagoshimaniaX

 

<どんな意味があったか>

170人会議参加当時、僕はライターデビューから半年程度で未曾有のスランプに苦しんでいました。ライターとしての自分とリアルの自分の乖離に悩んでいた僕は思うように記事も書けず、毎日、真っ白いままの画面を見つめる毎日でした。この170人会議への登壇でインターネット上の自分の活動を、170人以上の前で顔を出して話すことで、自分の意義を実感出来たことは貴重な経験です。プレゼンやワークショップを通じて出来た知り合いの方が、僕の記事を読んでくださり、拡散してくださっていることは嬉しい限りです。一人の発信力には限界があります。皆さんの力もお借りしつつ、一緒にもっと「鹿児島の話題」を「ゆるくアツく」発信していきたいと今は思っています。

 

<チャレンジの今>

170人会議がきっかけとなってPRのお仕事などを頂きました。また、面白い取組をされている方からお声をかけて頂く機会も増えました。本当に有り難いことです。提唱した「どうすればバズる(話題になる)のか」という部分に関して、明確な答えはないと思います。しかし一緒に話題を生み出す人や、その話題を楽しんでくれる人と知り合うこと、繋がりを作ることは一つの正攻法だと感じています。皆さんの「何か面白いことしたいね」「面白く魅せたいよね」というときに声をかけて頂けるように今後も頑張っていきたいと思います。みんなで一緒にもっと「鹿児島の話題」を楽しんでいきたいですね。

 

 

No.10  山下 愛未氏 / 戦略的自由人

 

<どんな意味があったか>

「ひとりの人」としての幸せって何だろう。肩書き、年齢や性別関係なく、ひとりの人として繋がっていく社会の実現。私のしたいこと、出来ることに本気で向き合ってくださったみなさんのあたたかさに感謝しています。自分自身や周りの人との繋がりを真剣に考え、ひとりの人としての原点と多くの視点に気付いた時間になりました。

 

<チャレンジの今>

自分がしたいこと、求められることを明確にし、今の自分に出来ることを1つずつ形にしています。「肩書き関係なく繋がる」「共に育つ」「1人ひとりが輝く」ことを重視して、@SEA★English community、イベント企画、人財育成事業。「人が繋がる場」「みんなで育てる宿」として、宿TENMONKAN PARKをリニューアルオープン。「肩書き関係なく繋がる」こととして、エアギタリスト鬼丸としても活動しています。あたたかく、本気で向き合い、繋がりを大切にする鹿児島のみなさんのことが大好きです。これからもよろしくお願いします。

 

 

No.11  若松 香澄氏 / ヤマサハウス株式会社(登壇当時は大学生)

 

<どんな意味があったか>

私たちの活動をより多くの方に知ってもらうことが出来、可能性が広がった。また、他の登壇者の活動や鹿児島への想いを知ることも出来たので、これからの鹿児島にも希望を感じることができた。

 

<チャレンジの今>

みなさんにお知らせしたいこと。 現在、"かごんまよかとこ発信プロジェクト"は活動しておりません。せっかく、色々なアイデアや応援を頂いたのに、それを上手く活かせられなかったことを悔しく、また申し訳なく思っております。社会人になるメンバー、就活を控えて自身の進路を真剣に考えるメンバーなど、それぞれの道を歩み始めたこともあり、解散することになりました。 しかし、このプロジェクトがなくなったからと言って、私たちの想いは変わることはなく、それぞれがそれぞれの出来ることを考えて現在、別々の場所で頑張っております。

 

 

No.12  鹿毛 健広氏 / 商社勤務

No.13  松尾 聡志氏 / 鹿児島市校区情報局

No.14  児島 さゆり氏 / 所属なし

No.15  紙屋 久美子氏 / 特定非営利活動法人eワーカーズ鹿児島

No.16  日髙 良二氏 / 特定非営利活動法人かごしまバリアフリーツアーセンター

No.17  橋口 創也氏 / 暮らしの畑屋のおと

No.18  黒江 学氏 / スタディカンパニー押

No.19  森 敏一氏 / 所属なし

No.20  川畠 康文氏 / YUKUSAおおすみ海の学校

 


◇ 第3回プレゼンター(2017)◇

 

No.01 浜本 麦氏 / NPO法人くすの木自然館 専務理事兼専門研究員

 

<どんな意味があったか>

登壇したことは私にとって、とても大きな転機になりました。登壇して発表するために、自分自身を深く振り返り、何を大切に今の活動を行っているのかをしっかりと見直し、自分一人でできることの限界を知ったことで、知らず知らずのうちに作っていた自分の殻、周りへの壁を壊すことができました。また、同じような熱い思いの仲間と出会い、つながり、そして、その仲間たちと思いを共有することもできました。

 

<チャレンジの今>

登壇した日を境に、多くの仲間が集まってくれるようになりました。そして、当時はできていなかったことが何個も達成できています。今は、次の段階「『重富海岸を本気で思うもっとたくさんの主体』とつながって、重富海岸の周りも一緒に盛り上げていく」に入っています。何かを成し遂げたい時、自分でなんでもするのではなく、一緒に同じイメージを持てる仲間を見つけられることはとても大切だと実感しています。

 

No.02 亀井 愛子氏 / 喜入子育てコミュニティKADAN

 

<どんな意味があったか>

「170人会議」という熱い空気の中に身を委ねたことは大きな経験でした。プレゼンの中身をチームで作り上げていく中で何のために自分は今の活動をしているのか。本質に目を向けることは時にキツい事でもありましたがこんなにも問いを持って自分自身を振り返る機会はいままでにないことでした。「それでもやっぱりやりたいんだ」という私なりの信念を持つことができました。

 

<チャレンジの今>

子育てを一人で抱え悩んでいたころの孤独感に「共感していただいた声」またそんな思いをしている人がいるんだということに「気付いたという声」を多くいただきました。少子高齢化過疎化の波が押し寄せる喜入地域にあって、共に子育てを楽しもうという地域の想いの高まりがみられます。これからも情報発信の機会と集える場作りを通して、多くのみなさんと”楽しく子育ての出来るまち”を目指します。

 

No.03 北村 愛氏 / 鹿児島中央助産院

 

<どんな意味があったか>

170人会議の前のプロセスで、自分自身に向き合う作業を仲間たちと繰り返し丁寧に行ったことが、大きな気づきと活動の力を得ることにつながったように思います。喜びも大きい助産院の仕事ですが、未来を見据え、社会の中で「お産」がおかれている状況を考えると嘆きたくなる現状です。孤軍奮闘と感じることも多いです。しかし、自分が助産院のお産とそのケアを守りたいと心の底から思っていること、自分がこの仕事を使命だと思っていることに気づき、この一年は、お母さんたちとのつながりを大事にし、スタッフと夢を共有することに努め、助産師教育や看護師教育など種まき作業にも精を出しました。志を共有する仲間とも多くつながれました。

 

<チャレンジの今>

お産が傷つき体験になり、わが子に向き合えず苦しんでいるお母さんを一人でも減らしていきたいと思っています。行政や産科医師たちとのつながり、志を共にする助産師仲間とのつながり、お母さんたちとのつながり、未来の助産師や看護師たち、未来のお母さん・お父さんとのつながりを大事にする自分自身の意識が高まったことで、「母子の力を大事にしたい」を共有する仲間が増えたことを実感します。地道に、諦めずに、「産むこと・生まれることを大事にしたいお母さんと家族」「産む人・生まれる人を受け止め、寄り添いたい助産師」「母子の力を信じ、見守る医師」この3者が揃う社会にしていきたいと思って活動を続けています。

 

No.4 坂口 修一郎氏 / 株式会社BAGN代表

           グッドネイバーズジャンボリー主宰

 

<どんな意味があったか>

登壇がプロジェクトの中でひとつの具体的な目標となったことで、チームのメンバーや活動地域の人たちと出会えたこと。東京と鹿児島の2拠点で準備するのはしんどかったですが、プロセスの途中で横に11人の同じ思いを共有するこんなにも面白い人たちがいるということに改めて気づけたことは心強かったです。その繋がりの中から雑誌SOTOKOTOの特集に地域の人たちと一緒に取り上げてもらったりと新しい動きも生まれました。

 

<チャレンジの今>

その後プロジェクトは地域や役場の方々を巻き込み佳境にさしかかっています。ここまでくるのに1年かかってしまいましたが、もし170人会議に登壇していなかったらもっとかかっていたはず。おかげで地域には確実にポジティブな変化が起きています。9回目となるグッドネイバーズ・ジャンボリーも地域の方々と一緒に今年も8月に開催予定。その時にはプロジェクトの成果も見ていただけるのではと思っています!

 

No.05 白畑 瞬氏 / Amanico島案内人

 

<どんな意味があったか>

伝えたいことが明確になりました。10分という短い時間に伝えたいことを話すって最初はとても大変だなと思いました。3ヶ月チーム一段となり何度も何度も話し合いました。あきらめずに繰り返すことで一番大事なことに気づきました。それは自分の心で感じたことを言葉に変えて発する勇気。大丈夫だよって応援してくれる仲間がそばにいることの大切さです。僕はそんな仲間たちと170人会議で出会いました。

 

<チャレンジの今>

未来会議で出会った仲間との挑戦は一年の時をへて動きました。奄美と鹿児島のチームで今年の5月中旬に一人乗りのカヌーで大海原を渡り鹿児島を目指します。あきらめない心と挑戦する心を伝えるためにそれがいつの日か誇りに変わる日をみんなで夢見て。

 

No.06 田仲 正明氏 / 鹿児島ユナイテッドFC公認カフェ ユナはん

 

<どんな意味があったか>

若い方々からの反響の大きさに喜んでいます。僕が話したのはサッカーについてでしたが、もともとサッカーに興味がなかった方々が少し興味を持ったり、エンターテイメントについて考えるきっかけになったりしているようで、とても嬉しいです。地域活性に携わる上でハードだけではなくソフト面にももっと意識してもらえたらありがたいですね。

 

<チャレンジの今>

エンターテイメントをさらに楽しむには学習が必要で、学べばそれをもっと好きになることができますよ、というのが僕の伝えたかったコアメッセージ。今はそれをテレビゲームで遊ぶことで知らず知らずのうちに学んでしまっている、そんなイベントを行ったりしています。ゲーム機をクラウドファンディングで資金集めして購入したりも。新しい仕組みを活用してさらにサッカー好きを増やしていきたいですね。

 

No.07 野中 翔太氏 / おむすび

 

<どんな意味があったか>

①「それは本当にやりたい事?何でそう思う?どうしたい?」と、自分自身に深く問いかける事ができるようになった。心へのロジックツリーのような感じ。それが自身を突き動かす温かい原動力になっている。

②170人会議前まで、情熱と勢いで走ってきていた。しかし、本当に人に何かを伝えたい時、「想い」だけでなく、それが湧き上がる原点にこそ伝播する力があると気づいた。飾らず、素直に、熱く、楽しく生きていける機会になった。

 

<チャレンジの今>

170人会議で出会った人が仲間に加わり、一緒にイベントに込められた想いを発信している。おむすびの発信以外にもテレビ、ラジオ、紙面等で機会を頂けるようになった。また、イベント主催者向けのイベントも開催でき、今後の鹿児島の可能性を確信した。イベントの深い部分をもっと伝える方法を共有し、地域の情報を届ける一助になれていると感じる。さらなる課題を見つける事ができたので、現在はそれを解決し、もっと面白く地域に役立ててもらえるよう改良版を開発中。

 

No.08 原田 一世氏 / NPO法人フードバンクかごしま

 

<どんな意味があったか>

170人会議に登壇することで、これまで取り組んできたことを整理することができました。また、サポートメンバーとの関係づくりができたことでテーマに関して継続して取り組むことができています。テーマに関しては参加者にとって喫緊の課題として感じにくい部分もあったかもしれないとは思いますが、「気づき」や「きっかけ」になってもらえればと考え、限られた時間内で広く多くの人に知ってもらえたのではないかと思います。

 

<チャレンジの今>

170に人会議をきっかけに始めたHUG(避難所運営ゲーム)に関しては、県内各地で開催することができ、また鹿児島県版のHUGの作成にも取り組むことにつながりました。災害に備えるための平時の繋がりについて今後も鹿児島県内外で企業や行政、NPO、有識者、県民など多様な主体との協働によって広く多くの人たちに伝えていければと考えます。

 

No.09 吉村 佑太氏 / 美山観光協力隊(日置市地域おこし協力隊)

 

<どんな意味があったか>

当初は自身の活動を多くの方に知ってもらい、応援者を作るイベントだと思っていましたが、「本当に大切にしている事ってなんだ?」という、170人会議本番までの深いプロセスを経る事で、本当に自分が世の中に伝えたい事が見えた事、また、登壇者・ファシリ・メンターなど関係者同士の繋がりも深くなった事で、自身の活動への展開があった事など、170人会議への参加は私の人生にとって重要なターニングポイントになりました。

 

<チャレンジの今>

当日のプレゼンの中で「地域総合商社を作る」という目標を宣言しましたが、実際に会社設立に向けて前進しています。これも170人会議で私の考え方を知った地区内外、多くの方が注目し、バックアップしてくださっているおかげだと思います。また、「感謝が循環する仕組み」という考え方も、170人会議本番に向かうまでのプロセスの中で生み出された言葉で、新しいプロジェクトを作っていく上で都度、大切にしているテーマです。

 

No.10 石川 世太氏 / 中高生ミーティング

 

<どんな意味があったか>

プレゼン準備の3ヶ月、プレゼンづくりの最終フェーズを通して、自分たちが取り組みを通して現したい世界観を描くことができました。あの機会がなければ至れなかったと確信していて、他のプレゼンターとプロセスを共にする流れに今でも大きな可能性を感じます。プレゼン・ワークショップを通してつながれた方が後日イベントに参加してくれたり、つながりの拡大を実感しています。

 

<チャレンジの今>

プレゼンの年の2017年、「中高生ミーティング」は「まちづくり100人キャンプファイヤー!」という企画も含めた大きな展開となり、中高生と社会が共にできることの可能性を広げました。プレゼン後、「たきびと」と名称を変えた対話の場を毎月1回開催し続け、そこでしか言葉にできないことを聴き合うようなあたたかい安心の場をつくっています。そうした対話の機会を必要としている方、ぜひご一緒しましょう。

 

 

No.11 神明 竜平氏 / 長島大陸Nセンター

 

No.12 中村 純也氏 / 社会福祉法人旭生会 旭ヶ丘園

 


◇ 第2回プレゼンター(2016)◇

 

No.01 小西 里奈 / 鹿児島国際大学

 

<どんな意味があったか>

当時のわたしは「鹿児島学生リーダー会議」といって、同世代の横のつながりを作る活動をしていました。前に立って話すこともあまり得意ではなく、不安いっぱいで壇上に居たことを覚えています。想いに賛同して応援してくださる人があんなにもいることに感動しました。スピーカーをしたことは私の活動だけでなく、ちっぽけでもやりたいことを話すことがたくさんの勇気や後押しを生むことだと教えてくれました。

 

<チャレンジの今>

当時は、同世代の横のつながりを作っていた私ですが、現在は毎週金曜日の夕方に「そばる」というお店を借りて『ふらっと立ち寄れてあったかくて安心できて、楽しめて、繋がれる』ような時間づくり、空間作りを行っています。3月まで開ける予定なので、興味がある方は是非遊びに来てください。

第2回の私のように、今日参加する方たちが、1つでも理想に近づくことができますように。

 

No.02 赤塚 隼人氏 / 湯之元温泉非公式研究所 ゆのラボ

 

<どんな意味があったか>

170人会議に参加し、様々な観点からの物事の組み立て方を多く学びました。

それは、メンインでサポートして頂けるファシリテータ、スタッフ達からの助言があったからこそ。また自身の取り組みの振り返り。一歩立ち止まり、再度取り組みについて考え直すきっかけとなりました。短期間で作りあげた170人会議の仲間達とも素晴らしい時間を過ごせたと思います。

 

<チャレンジの今>

170人会議後は、視察に来て頂き、各方面から応援して頂きました。私個人としましては、現在組織を離れ、現在は湯之元のメンバ一人一人が許された時間を有効に使い「エアギター日本選手権」「ゆのまつり」など開催して街を盛り上げています。

 

 

No.03 福澤 知香氏 / NPO法人頴娃おこそ会 観光プロジェクト

            暮らしの宿 福のや、

 

<どんな意味があったか>

170人会議に参加した時は、頴娃に移住してまだ半年程の頃でした。想いはあるものの、共に活動できる仲間や地域の方との信頼関係はできていない状況で、外部の応援者も少なかったです。170人会議登壇をきっかけに、頴娃に足を運び活動を見に来てくれる方が出てきたり、WSの時にもらったアイデアを生かし、色々なイベントを運営するまでに至りました。 自分の想いを語ることで、それに共鳴してくれた方が仲間になるので伝えることの大切さを感じました。

 

<チャレンジの今>

持続可能な観光地つくりに取り組むためのアイデアをもらいました。持続可能な観光地域づくりとは何かを考え、持続可能な観光事業が必要と判断しました。宿の運営をはじめ、宿泊者向けの滞在プログラムの企画催行をしています。現在は3月の宿移転オープンに向けて日々改修や発信を行っております!

 

No.04 須部 貴之氏 / 有限会社すべ産業 営業部長兼リノベーション事業部長

            のきさき市鹿児島騎射場実行委員長

 

<どんな意味があったか>

今なんでこの活動をしているか?何のためにしているのか?

周りにとってどんな意味があるのか?ゴールはどこを目指しているのか?

など本質的な問いの中からその時の自分を整理する時間になったと思います。

また、一人ではなかなか整理できないことを、メンターや同じ登壇者達と一緒に意見交換する中で見えて来たこともあり、対話や仲間の重要性を感じた時間でもありました。この時のつながりが今の自分に大きな影響を与えています。

 

<チャレンジの今>

チャレンジしたかったことは、私の話を聞いたうえでその場にいる人たちが想うそれぞれの社会課題を共有し、「今、ここで、私たちにしかできないこと」を考えてプロジェクトを立案し、「まずやってみる!」という企画でした。どんな企画が起こるかも分からないなかライブ感たっぷりでしたが、結果「謎解き」をしている人がいて、「謎解き」と「のきさき市(騎射場のイベント)」がコラボしたりということに繋がったりしました。

 

No.05 大岩根 尚 / 合同会社むすひ

 

<どんな意味があったか>

ワークショップを設計する中で、自分がやりたいことについて改めて考え直し、深めることができました。また、他の登壇者や参加者、運営スタッフとのつながりができ、親友と呼べるような、応援したい仲間が増えました。このことを通じて「鹿児島」が自分のものに感じられるようになりました。また、170人会議のつながりがきっかけになって仕事の依頼や、引っ越し、さらに起業など、人生が大きく動いています。

 

<チャレンジの今>

2016年の170人会議で、「変態ハカセといっしょに「持続可能な島」をつくろう!」というテーマでプレゼンさせてもらいました。当時自分が仕事として関わっていた硫黄島をきっかけに、持続可能な社会について考えてもらうことを目的としたものでした。会議終了後、会議参加者と一緒に硫黄島に行き、実際に島を見てもらいました。それから1年後に起業し、島に行ったメンバーのうち2名と一緒に会社をやっています。

 

No.06 安藤 淳平氏 / 株式会社マチトビラ(当時)

            鹿児島移住計画 代表(現在)

 

<どんな意味があったか>

急遽170人会議に登壇することになり戸惑いもあったが、会場で多くの方が「移住ドラフト会議」や「観光と移住の“あいだ”をつくる」というテーマに関心を持ってくれたことによって自身の課題感が的外れなことではないと勇気をもらうことができた。また170人会議で直接何かが生まれたというより、多くの方に取組を知ってもらえたことで、鹿児島の中でゆるやかな挑戦の後押しをしてもらえたと思っています。

 

<チャレンジの今>

移住ドラフト会議はこれまで鹿児島で2回開催し、昨年(2017年)の11月には全国の移住計画と共同で全国版(全国12地域が参加)の移住ドラフト会議を開催しました。その結果、実際に鹿児島に移り住んだり、東京と鹿児島を行き来したり、県外に住みながら鹿児島を応援してくれたりと「観光と移住の“あいだ”」に多様性が少しずつ生まれてきていると思います。

 

No.07 上村 修氏 / NPO法人福祉相談センターにじ

 

<どんな意味があったか>

本番を迎えるまでのファシリテーター等スタッフとの綿密な練り合わせ作業が私にとっては新鮮で、何より財産となりました。それまでの「楽しくやれればなんとかなるさ」程度で関わっていた「まちづくり」についての考え方が一掃。人を巻き込み、「未来」へ向けて方向性をまとめ上げていく『作業過程』は秀逸。「絶対妥協しない」「絶対手を抜かない」スタッフからそんな熱気も強く感じました。

 

<チャレンジの今>

170人会議前後で大きな変化はありません。でも、あれから2年たちますが、「男性の孤立化防止」に向けて、地域の方々とコツコツ活動できています。それは、こんな会議に参加でき、視野が広かったたことも大きかったでしょう。今では、少しでも理解者を広げようと、SNSを活用して、「だんだん馬渡」の情報発信を

活発化させています。声援を送ってくださる方が格段に増えましたね。

 

 

No.08 加藤 慶一氏 / 一般社団法人 Regional Sports

 

<どんな意味があったか>

当時、漠然と「スポーツ&アクティビティ」で何かしたい!と考えていた時に170人会議と出会い、地元鹿児島に貢献したい想いで登壇しました。正直、それから鹿児島での活動はできておらず、貢献もできておりませんが、2018年1月に一般社団法人を設立し、東京を中心に少しずつ「地域×スポーツ&アクティビティ」の活動を進めております。実績やノウハウを蓄積し、近いうちに鹿児島のために貢献できることを目標に日々活動しています。

 

<チャレンジの今>

私が実現したいことは、アクティビティ&スポーツを使って地域への人の行き来を増やすことです。地域の魅力は「そこにしかない土地や景観」が最たるものだと考えております。それを活用したイベント開催や既存イベントをより知ってもらうためのお手伝いをして、「交流人口」を増やすことが目標です。現在は東京を中心に活動していますが、志を共にし鹿児島で活動いただける方を募集しています!

 

 

No.09 東 愛理氏 / ゆす村農園有限会社

 

No.10 山口 ひとみ氏 / Cafemomo

 


◇ 第1回プレゼンター(2015)

 

No.01 関 美穂子氏(地域おこし協力隊(薩摩川内市・下甑島)/アラワス)

 

<どんな意味があったか>

プレゼンターとして参加した、第一回。参加者のみなさんがあたたかく、私の課題を自分ごととして一緒に考えてくださいました。それまでどこか、周りに背伸びして「完成された、ツルツルした綺麗なものがたり」を話そうとしていた自分がいましたが、もっと周りを信頼して「未完成な、ザラザラボコボコしている、課題や悩みもある今の想い」を共有しても良いのだと気付く体験で、それから日々の発信の仕方も変わった気がします。

 

<チャレンジの今>

助八古道プロジェクトは地元の皆さんのペースで続いています。ぜひ遊びに来てくださいね。また、私は地域おこし協力隊の任期終了後「可視化グラフィックライター」として、イラストや文字で話や場の内容をその場で描きおこし、相手をサポートする仕事をしています。そして今回は仲間とチームで170人会議をグラフィックでお手伝いすることになりました!みなさんとあたたかい場を共に過ごせることを楽しみにしております。 

 

No.02 鈴木 あかね氏 / 共同通信グループNNA(駐シンガポール記者)

 

<どんな意味があったか>

発表後のグループディスカッションで参加者のみなさんに書いていただいたアイディアの数々の写真は、今も大切に保存しています。パネルでは「利益が出ることで持続可能な環境ビジネスになるんだよ」という視点のプレゼンをしました。これに対して、参加者の方から提供してもらった身近な問題意識や素朴な疑問は、新たにビジネスチャンスを見つけるためのたくさんのヒントになりました。

 

<チャレンジの今>

現在は当時の会社を辞め、シンガポールで経済紙の記者をしています。全く別の業界にいますが、相変わらず環境」や「ビジネス」への興味は尽きず、いろいろな会社を取材してまわっています。環境ビジネスをする側ではなく、応援する側として活動している感じです。仕事を変えた理由ですか?前職でアジアのさまざまな国と取引する内に、自分でも行きたくなったからです。国や会社が違っても好きなことは続けられると考えています。

 

No.03 緒方 康浩氏 / 株式会社リビタ

 

<どんな意味があったか>

当時は社会人1年目、メンターからは「やりたいこと、出来ること、やらなければいけないこと」が被さるところについて意識するようにという言葉をいただいておりました。当時から3年が経ち、そのあいだ企業で働くなかで、特に新たに企画を生み出したり、プロジェクトを発案する際にこの言葉を意識して、ブレイクスルーできたことは何回もありました。環境は変わりましたが、そのような形で今に活きております。

 

<チャレンジの今>

当時開催していた「GOOD MORNING MARKET@Kagoshima」をきっかけに、鹿児島県鹿屋市では「食と暮らしのマルクト@おおすみ」という月一回開催のマーケットが生まれ、いまでもその取り組みは続いています。私自身は当時から今に至るまで、”人の集まる場の運営”という柱のもと、コワーキングスペースや地域密着型のホテルの運営に携わり、当時もいまも変わらず企画や発信を役割として担うことが多いです。

 

No.04 原口 千尋氏 / かごしま探検の会(当時)

          Travel & Travel Pty.Ltd(現在)

 

<どんな意味があったか>

会議に出たことでアイディアを共有してくれる人が現れて、何かをはじめるキッカケになったのではないかと思います。自分一人の頭の中に広がる構想や世界観は他と繋がり交わる事で動き出すという事に感動したのと同時に0を1に持っていく、それがとても難しいこと事である事も実感しました。

 

<チャレンジの今>

現在、鹿児島を離れ海外に居ますが、今でも鹿児島で想いを共感してくれた仲間が、これまでに無い形で海外の人との交流の場を作ろうとしてくれています。ナンパプロジェクトという枠を超えて、一方的にこちらから

声を掛けるのではなく海外からの旅行者の方から気軽に声を掛けてもらえるような、そんな場所が出来るのでは無いかと期待しています。

 

No.05 大村 瑛氏 / NPO法人桜島ミュージアム

 

<どんな意味があったか>

1人の力に限りはありますが、1人1人の力が掛け合わされるととても大きな力になることを、本会議を通じて体感することができました。それを可能にしたのは、本会議に集まる170人の熱量の高さと、意見を交換しやすい場づくりのおかげだと思います。多くの人々が集まるプロジェクトや会議をする際には、「どのようにしたら170人会議のような場を作れるだろうか」と考えるようになりました。

 

<チャレンジの今>

2015年(登壇年)に初開催した「灰フェス!」は、毎年恒例のイベントとなり、現在までに3回開催しました。本会議で得たたくさんの方々とのつながりやアイデアを形にし、よりよいイベントになるよう企画しています。鹿児島の悩みでも誇りでもある「火山灰」をテーマにした、世界で唯一(たぶん)のイベントです。

今年も開催する予定ですので、ぜひ一緒に「灰フェス!」を作りましょう(^^)

 

No.06 水口 義夫氏 / 鹿児島医療介護塾 事務局長・かごしま地域見守り

          ネットワーク『みま〜も・かごしま』事務局長

 

<どんな意味があったか>

結論として参加してよかった。登壇することは準備も大変だし、たくさんの人を前にして宣言することは勇気のいることだから。しかし、皆の前で宣言することで追い込まれて行動する方向に進まざるをえない。(笑)

下記に記しますが実際『みま〜も・かごしま』という形でまちづくりの活動団体として大きく前進した。応援従っている人も多いように思います。私も応援したいと思います。勇気を持って頑張ってください!

 

<チャレンジの今>

鹿児島医療介護塾事務局長として「あらゆる地域の方々が豊かな生活を営むことができる「まちづくり」に向けて」というテーマで話をさせて頂きました。現在、2017年4月1日にかごしま地域見守りネットワーク『みま〜も・かごしま』を立ち上げ望む方向へ向けて活動中です。介護塾からの派生組織として並存中です。

登壇したことはひっかけの一つであることは間違い無いです。今は更なる充実に向けて4月1日一周年イベントに向けて準備中。

 

No.07 原田 一世氏 / NPO法人フードバンクかごしま

 

No.08 加藤 潤氏 / NPO法人頴娃おこそ会 観光プロジェクトリーダー

 

No.09 西 弘子氏 / 介護士

 

No.10 四元 朝子氏 / かごしま文化情報センター(KCIC)